
今現在、僕の交友関係は、住んでいる町、大学、バイト先に大きく縛られている。友人のほとんどはこの3つに属しているし、仮に3つの枠から漏れたとしても、「大学の友達の友達」といったような具合で、必ず3つの社会学的集合が関係している。
そのため、新しい友人を作ろうとがんばったところで、なかなかこの3つの社会学的制約から出ることは難しいと考えていい。つまり、生まれた時点、入学した時点、バイトの面接に合格した時点等のように、ある特定の社会的集合に属した時点で僕の交友は制限がかかる、、と、"制限"を一口にマイナスイメージでとらえて話してしまったが、もちろんこれらの制約のおかげで新しい友達を作ることができるのであって、やはり社会的に存在する限り、制約は切っても離せない関係である。
ただここで問題となるのが、それらの制約の多くは物理的な事情で存在しているということである。例えば僕が東京の大学に通いながら、ある日突然北海道の人と仲良くなるというのは非常に稀だ。少なくとも同じ東京の大学に通う人と新しく知り合うものと比べれば断然だ。
このように制約という枠がある限り、せっかくこんなにも広い世界、様々な人間がいるのに”彼ら”とはなかなか出会うチャンスは巡ってこないのである。なんとまぁ、自分は狭い世界で生きているんだろう?笑
しかし、ここで驚くべき資料がある。de Sola Poolによれば、人はこうした社会学的制約の中、100日の間に500人程度と日常的に接する知人を持つという。さらに自分の知人と友達の知人が重複する割合は最大でも36%で、典型的にはこれより低いという。
ではここで仮に僕が100日間で500人と知り合いになったとすれば、その500人の人たちもそれぞれ500人の知り合いがいる計算になる。つまり先の36%という数字から、友人の70%が重複しないと考えれば、僕が持つ「友達の友達」の数は(少なく見積もっても)
500×(500×0.7)=17万5000人
ということになる。
この数字をどう捉えるかは人それぞれだと思うが、僕は思った以上に多いことに感動した。これはかなりの数ではないだろうか。単純に今の友達の壁を越えればそこには新たなネットワークを持った17万5000人の人たちがいるのだ。なんだか昔のボーダフォンCMの「家族の壁」を取っ払うシーンがよぎる。
しかしこの無限にも思える「友達の輪」にも社会的な障壁というバリアが存在する。
ここで面白い実験を紹介したい。
アイヒマン実験で有名なミルグラムは「世間が狭い」ことを実験的に証明したのだ。
アメリカの内陸部に住む人から、遠く離れた見ず知らずの東海岸に住む人へ手紙をリレーするという実験である。中西部のある人に見ず知らずの東海岸に住む人の名前と簡単な属性だけを伝え、この人を知っている確率が最も高いと思われる自分の知人に手紙を出し、さらにその人に同じことを繰り返させる。これを続けていき、いったい何人を中継して目的の人物まで届くのかを調べた。
その結果、平均してわずか5人のコミュニケーション中継ルートでアメリカ大陸半分を横断したのである。日本においても、福岡から大阪について同様のことをやってみたが、やはり結果はほとんど同じだったという。さらにこの実験を教員と学生、学生と事務官、事務官と教員といったように同じ大学に住む人たちでやってもやはり5人の中継ルートが必要だったのである。
これは何を示唆しているのだろうか。
ここから見えてくるのは「友達の友達」という一見無限にも思えるネットワークにも障壁があり、すなわちそれは地理的な距離ではなく社会学的な差異のバリアであることが分かる。社会学的な差異のバリア血縁・地縁、性、人種といったようなものである。そのために結局のところ、1つ友人を超えた先には多くの可能性があるにもかかわらず、たどり着ける日常の世界の内側はひどく狭く、同質的なのだ。
ところが、これらのバリアを一気に崩したのがインターネットの存在だった。
続く。
(引用&参照元:ネットワーキングコミュニティ 池田耕一)
今回は色々と偉そうなこと書いていますが、ほとんど本の引用です。
今月中にその情報縁について、僕なりに様々な視点で見ていきたいと思います。
▼記事を評価してください。