» HOME  » RSS  » ADMIN
dot1 dot1

「Googleより優れた検索を投入する」とMicrosoft


ニュース【「Googleより優れた検索を投入する」とMicrosoft

ニュースによると、マイクロソフトは半年以内にGoogleを超える検索エンジンを投入するとのこと。まずはアメリカ、イギリス、次いでそれから3カ月以内にカフランス、ドイツにも投入してくるようです。ということは日本に投入されるのはドイツ、フランスと同じくらいになるのかな?

さて、具体的なサービスはまだ明らかにされておりませんが、記事でひっかかったポイントだけあげていくと…

「Googleの2倍優れた検索エンジンをWindowsに組み込む」

「Hotmail、Messengerといったソフトウェアとも統合させる」

「URLを超えた検索知」

といったところです。

まぁ、今のMSN Search発表のときにもGoogleに追いつくとか言っていたんですが結局今のような状況だし、Googleに追いつく追い越すの話は当てにならないと思います。
ただ、3番目の「URLを超えた検索知」というのが気になります。なんでもマイクロソフトによると、現在の検索では50%の確率で目的のサイトにたどり着くことができないそうです。

確かに、それはよく感じます。
僕は普段からGoogleパーソナライズドを使っているんですが、検索履歴を見る限りにおいて目的のサイトにたどり着く確率は50%を下回っていると思います。その証拠に過去の履歴をみると連続してキーワードを微妙に変えた検索や、一度の検索で3,4サイトも回っていたりしますし…。

ただ、その問題をマイクロソフトがクリアできるかは別問題ではないでしょうか。詳しい技術の話は分からないので置いておきますが、現在ヤフーやグーグルが取り組んでいるような、お店、映画館検索を地図情報やユーザーレビューといったものに統合していくサービスが恐らくマイクロソフトが課題としていることを解決しようとする方法だと思いますが、現段階ではまだまだ実用段階には程遠いのではないかと考えています。


さて、ここで話が飛びますが、理想的な検索ってなんでしょう?


恐らく、目的の情報を手間なく確実に取得するではないかと思います。
さらにもうひとつ付け加えるとすれば、検索システムの弱点である”テキスト化しにくい思考”をいかに汲み取るかではないかとも思います(しかしながら現在、検索サイトによって思考が固定化されていくという現象もないとはいいきれない)。今の検索技術はまさにこの部分を追求しているわけですが、個人的に要望したいのはこれら全てを満たした検索サイトではなく、むしろ「確実に情報がある」「すばやい」といったニッチな検索サイトだったりします。もはや情報が膨大になり、検索の手間が増加し、不満が募った結果、人々が検索サイトに望むものは今後多様化していくのではないかと。あるいは検索サイトの使い分けという文化もそろそろ出てきているのではないでしょうか。

僕なんかは、いつもはグーグル検索を使いますが、より最新の情報がほしいときはクロールの頻度が高いヤフー検索を利用しますし、あるいは電化製品の扱い方が分からないときなんかは「教えて!goo検索」のある、goo検索を積極的に使います。

こういった、検索サイトの使い分け文化、検索サイトへのニーズの多様化一般的に浸透してくれば、ニッチな検索サイトが今後大きく伸びるんでしょうね。


というわけで、マイクロソフトに若干の期待をかけつつもニッチな有能検索サイトの登場を待ちわびる日々です。

▼ちょっと見つけたユニークな検索サイトたち

Book Town ジンボウ
神保町の中にある書店と書籍を検索できる。あくまで基本はネットで買ってもらうのではなく店舗で直接出向いて買ってもらうところに重点をおいている。価格情報をすぐにみせないなどの工夫が施されている。
PreFound
過去に誰かが検索してたどりついたサイト情報をもとに検索する。
インターフェースのリッチさ、コミュニティ型検索といった、Web2.0的な検索サイトの典型例。


▼昨日発売したばかりの本です。
Web2.0 Book


▼記事を評価してください。
このブログを評価する
インターネット03.02(Thu)13:00コメント(20)トラックバック(0)Top↑
dot3 dot5
dot1 dot1

”情報縁”の可能性〜案外、狭い社会〜


今現在、僕の交友関係は、住んでいる町、大学、バイト先に大きく縛られている。友人のほとんどはこの3つに属しているし、仮に3つの枠から漏れたとしても、「大学の友達の友達」といったような具合で、必ず3つの社会学的集合が関係している。

そのため、新しい友人を作ろうとがんばったところで、なかなかこの3つの社会学的制約から出ることは難しいと考えていい。つまり、生まれた時点、入学した時点、バイトの面接に合格した時点等のように、ある特定の社会的集合に属した時点で僕の交友は制限がかかる、、と、"制限"を一口にマイナスイメージでとらえて話してしまったが、もちろんこれらの制約のおかげで新しい友達を作ることができるのであって、やはり社会的に存在する限り、制約は切っても離せない関係である。

ただここで問題となるのが、それらの制約の多くは物理的な事情で存在しているということである。例えば僕が東京の大学に通いながら、ある日突然北海道の人と仲良くなるというのは非常に稀だ。少なくとも同じ東京の大学に通う人と新しく知り合うものと比べれば断然だ。

このように制約という枠がある限り、せっかくこんなにも広い世界、様々な人間がいるのに”彼ら”とはなかなか出会うチャンスは巡ってこないのである。なんとまぁ、自分は狭い世界で生きているんだろう?笑

しかし、ここで驚くべき資料がある。de Sola Poolによれば、人はこうした社会学的制約の中、100日の間に500人程度と日常的に接する知人を持つという。さらに自分の知人と友達の知人が重複する割合は最大でも36%で、典型的にはこれより低いという。

ではここで仮に僕が100日間で500人と知り合いになったとすれば、その500人の人たちもそれぞれ500人の知り合いがいる計算になる。つまり先の36%という数字から、友人の70%が重複しないと考えれば、僕が持つ「友達の友達」の数は(少なく見積もっても)
500×(500×0.7)=17万5000人
ということになる。

この数字をどう捉えるかは人それぞれだと思うが、僕は思った以上に多いことに感動した。これはかなりの数ではないだろうか。単純に今の友達の壁を越えればそこには新たなネットワークを持った17万5000人の人たちがいるのだ。なんだか昔のボーダフォンCMの「家族の壁」を取っ払うシーンがよぎる。

しかしこの無限にも思える「友達の輪」にも社会的な障壁というバリアが存在する。

ここで面白い実験を紹介したい。
アイヒマン実験で有名なミルグラムは「世間が狭い」ことを実験的に証明したのだ。
アメリカの内陸部に住む人から、遠く離れた見ず知らずの東海岸に住む人へ手紙をリレーするという実験である。中西部のある人に見ず知らずの東海岸に住む人の名前と簡単な属性だけを伝え、この人を知っている確率が最も高いと思われる自分の知人に手紙を出し、さらにその人に同じことを繰り返させる。これを続けていき、いったい何人を中継して目的の人物まで届くのかを調べた。
その結果、平均してわずか5人のコミュニケーション中継ルートでアメリカ大陸半分を横断したのである。日本においても、福岡から大阪について同様のことをやってみたが、やはり結果はほとんど同じだったという。さらにこの実験を教員と学生、学生と事務官、事務官と教員といったように同じ大学に住む人たちでやってもやはり5人の中継ルートが必要だったのである。

これは何を示唆しているのだろうか。
ここから見えてくるのは「友達の友達」という一見無限にも思えるネットワークにも障壁があり、すなわちそれは地理的な距離ではなく社会学的な差異のバリアであることが分かる。社会学的な差異のバリア血縁・地縁、性、人種といったようなものである。そのために結局のところ、1つ友人を超えた先には多くの可能性があるにもかかわらず、たどり着ける日常の世界の内側はひどく狭く、同質的なのだ。


ところが、これらのバリアを一気に崩したのがインターネットの存在だった。

続く。
(引用&参照元:ネットワーキングコミュニティ 池田耕一)

今回は色々と偉そうなこと書いていますが、ほとんど本の引用です。
今月中にその情報縁について、僕なりに様々な視点で見ていきたいと思います。

▼記事を評価してください。
このブログを評価する
インターネット02.28(Tue)23:59コメント(57)トラックバック(1)Top↑
dot3 dot5